60歳を過ぎた人が手入れをしている庭を歩けば、植物で綴られたその人の人生がそこにあります。子供たちが家を出た時に彼女が植えたバラ。彼が定年を迎えた年に作った野菜畑。そして、30年もの間、毎年夏になると、母が海外から送ってくれた同じ種から、同じ場所でトマトが育っているその一角。
庭とは、最も文字通りの意味で「自伝」なのです。何を育てるか、どこで育てるか、どのように手入れするか――そのすべての選択が、言葉では表現しきれないような形で、その人の歴史や価値観、内面を映し出しています。それなのに、親や祖父母の遺産を後世に残そうと考えるとき、庭から始めようとはめったに思いません。
そうすべきです。なぜなら、庭には他では決して見つからない物語が詰まっているからです。あなたが生まれた年に植えられたマグノリア。1950年代に韓国で彼の母親が育てていたものを、一株一株忠実に再現したハーブガーデン。毎年10月に実をつけ、近所中の人々が集まってくるリンゴの木。その木について、彼女は一度もその由来を説明したことがありません。
これらは、その人を「特別な存在」たらしめる細部なのです。ありふれたものでも、典型的なものでもありません。特別な存在。そして、その「特別さ」こそが、家族の歴史を単なるウィキペディアの項目から、孫たちが実際に読みたくなるような「生きている記録」へと変えるのです。
もしガーデニングをする親御さんがいらっしゃるなら、一緒に庭へ出かけてみてください。「なぜこの植物を選んだのですか?」「その種はどこから来たのですか?」「亡くなってしまった植物で、今でも恋しいものはありますか?」「予想外に育って驚いたものはありますか?」「この場所はあなたにとってどんな意味がありますか?」と尋ねてみてください。親御さんに歩きながら話してもらうのです。その様子をスマホで録画しましょう。そうすれば、他の方法では得られない貴重な記録が残せるはずです。なぜなら、庭とは「内面」が可視化された「外面」だからです。土の中に表現された内なる世界なのです。
やがてその庭が売却されたり、植え替えられたりすれば、植物そのものは消えてしまいます。しかし、なぜそこにあったのかという物語は、庭師自身の言葉で語られれば、どんな庭よりも長く生き続けることができるのです。